PANTHER MARKET
二人の出会いのきっかけ、そしてなぜここまで仲良くなったのか
中島:あれいつ頃や?
飯田:僕が前の会社に入ったのが23歳だから、出会ったのも23歳。
まず話すようになったきっかけが、僕が23歳のときにA店っていうところに所属していて、そこではアウトドアなものを着てたけど、
隣にあるB店っていうお店の服も気になったから見に行くようになって、そこのバイヤーが昭一君(中島)やった。
んで昭一君が着てるものも気になって、それで喋りかけるようになって、話したら同じ滋賀県出身やと。
で、草津ってことも聞いてたから、うわーこの人絶対悪いわと思って。
それは見た目もそうやし、滋賀県に住んでる人なら分かると思うけど、草津の人ってヤンチャな奴が多かったから。
ぐっと仲良くなったのは、一回遊びに来いって言ってもらえたときかな。
今香川県でセレクトショップやってる「はっちゃん」と僕で遊びに行ったら、1人暮らしとは思えないすごい部屋に住んでて、
あるものあるものがなんすかこれって感じで(笑)
もとから興味あったけどそれで昭一君になおさら興味湧いて、それからは一緒に買い物も行きましたもんね。
中島:神戸いったり、スニーカー探しにアメ村いったりしたなあ。
飯田:それが24歳過ぎてた頃やから、初めからめっちゃ仲良くさせてもらってたわけじゃないし。
今思えば2歳しか離れてないけど、当時20代の2歳って大きいじゃないですか。
まだアルバイトのペイペイでバイニングもすることもなく、でも会社に入った時点でバイヤーになりたいっていう気持ちもあったんやけど、
先輩やったから吸入することも多かったし、言い方悪いけどこの人といたら得すること多いんちゃうかなって考えてたっすね。
飯田:今やから言えるっていうか、当時一度「お前こっちの店来たら」みたいなことを昭一君に言われて、
実際に僕に合ってるのもそっちの店やったし、僕も昭一君の下で働くのもええなと思ったけど、いやちょっと待てよと。
この人の下に付くってことはこの人を越えることはできひんなと思って。
それやったら店はちゃうけど一つの会社やから、昭一君から得た自分のインスピレーションをA店で表現しようと。
そこでシフトチェンジしたというか。
最初はずっと憧れやったけど、そこからは中島昭一をいつか越えたいという気持ちが出てきたから、
そこでオレももう一回ギア入ったみたいな感じで凄くいい関係になっていって、
ただ遊ぶだけじゃなくて、色んなことも相談するようになったし。女のこととか(笑)
その当時会社の人でプライベートでも遊ぶっていうのは昭一君とキム兄ぐらいやったと思うんすよね。
中島:あー、そうなんや。意外やな。
飯田:はい。なんでこんな言い方したら悪いかもしれんけど同級生と遊びたくなくて。
やっぱり年上の人と遊んだほうが間違いなく自分にプラスになることが多いなって。それは10代の頃から感じてたし。
昭一君はそん時B店と、また別にC店にも行ってたから毎日ではなかったけどよく会ってたっすね。
でC店から離れてB店にドップリになってからはそれこそ毎日会ってましたよね。
そんで入社して2年経ったぐらいからは僕もバイニングできることになって、
それでこう色々情報交換とかもするようになって、そこからまたさらに仲良くなったかなってのはあるかな。
中島:確かにそうやな。
せやし、なんか最初は浮いとる奴おるなぐらいやってん、汚い奴おんなみたいな(笑)
最初掃除やってたやろ、A店の掃除。
飯田:ああ、寺町通のね、はいはい(笑)
中島:んで他の子は服屋やからそれっぽい恰好しとるんやけど、ほんまに清掃員みたいな奴がおって、それが飯田やったわけよ。
あ、ナチュラルにこの子汚いんやみたいな。あ、なるほどなるほど、リアルな感じなんやみたいな目で見てて。
ほんでちょいちょいオレに話しかけてきよるんよ。その服どこのっすかゆーて。
正直邪魔くさかったわ、そんなんおまえら知らんくてもええねんとか思いながら。
でも顔つきも目つきもよかったし、ちょっといろたろ(いじったろ)かいなとか思いながら話してたな(笑)
飯田:ははは(笑)
中島:ほんまにちょっといろたろかなぐらいやってん。
そしたらかなしいかな、類は友を呼ぶというか。生まれ育ったところも近くて、気性も荒くて、で、ちょっと周りのことを気にしているようで気にしない。
でも服に対する情熱とか、信念の部分っていうんかな、かっこよくいうと。信念があるんじゃないかと、こいつはただ単に服屋に入ってきたんじゃないなと。
やる気はあるし、それに対して動くやろうなっていう風に思ってて。
ほんで話していくうちに僕もスニーカーのこともたくさん教わって、店がちゃうかったっていうのもあるかもしれんけど、
いい意味でこういう関係になってきたんちゃうんかな。
飯田:まあ、服装も全然ちゃうかったですし。
中島:ちゃうちゃう、好みもちゃうし。
飯田:僕も20代にありがちな、その人に憧れてるから同じ恰好するっていうのが全然なかったし、昭一君自身もそれに関して否定してこなかったし。
なんかね、仕事中はお互いスイッチ入ってるけど、終わったらオフにできるっていうのがよかったっすよね。
中島:そうそう、素でいれた。
飯田:そんで自分がオフのときも、どっちかがオンになってると気遣うことが多かったりとか。
でも歳離れてるけど僕はどっちかゆーたら先輩に甘えるのが上手やと思ってて、それをうまく昭一君が吸い取ってくれたっていうか。
怒られたっていうことがほとんどなかったし、プラベートでね。
「おいお前なんやそれ、生意気やねん」みたいなのもなかったし、僕をうまく転がしてくれたっていうのがあるんで、
そういう意味でも今も仲良くいられるのはそのとき培ってきたもんが大きいんかな。
昭一君がdoo-bopやるまでの間やし、5年くらいすっよね。
でももう出会って20年経ちますもんね。
中島:うわ、ほんまやな。そんな経ったんか。
飯田:そうっす、だから昭一君が辞めてからのほうがもう長いから。
やっぱりちょっとの間はお互い仕事でしょっちゅう会うことなかったっすけど、
4年前に僕が滋賀県に戻ってきてからdoo-bopにも遊びに来るようになったというか。
中島:でも会ってない間も会ったらこんな感じやったしね。
飯田:そうっすそうっす、いつも通りな感じでしたもんね。
中島:けど結局一緒の店で働いてたんは最後の1、2か月くらいか。
飯田:いや3、4か月ですね。一緒にバイニングしたり、店のこと考えたりしてたのは。
中島:短かったけど今となってはいい時間やったと思うわ。
飯田:そうですね。
飯田さんの今後
飯田:昭一君には最初のほうに自分でやっていくっていうことを話してたけど、明確に伝えたのは僕が退社してからでしたよね。
中島:そうやったな。
飯田:今の時点で全部は話せないですけど、一応僕も今までバイヤーをやってきて、
そん中でマネージャーであったりその下にいるスタッフが店頭を守ってくれてたってのは自分の中で大きくて。
D店を立ち上げたのが2008年で、2011年くらいまでは店にも立ってたんですけど、それ以降はほぼ立たなくなって。
その期間が6,7年あるんで、20年いた中で自分のお客さんって呼べる人もどんどん少なくなっていったってのは自覚がありました。
でもその分何を得たかっていうと、バイニングとか海外にいったりとか、そういう経験が大きかったですよね。
店頭とバイニングみたいな、そういう役割分担が大事で、自分一人で1から10までできひんかったし、そういう一つのチームとしてやってきたんですよね。
でなんですけど、僕が今言えるのは、一人で今から新たにやっていこうと思ってて。
今回昭一君に誘ってもらってPANTHER MARKETっていうのをさせてもらうんですけど、これは僕が次に事業としてやっていこうと思ってることではないです、正直。
で、実はもう5、6回してるんですよ、PANTHER MARKET。
それって何かっていうと、僕が10代のころから今まで私物として買い溜めてきたもの売りに出そうっていうもので。
僕も今まであんまりトレンドっていうものを気にしてこなかったけど、そん時の気分みたいなものはあったし。
そういうのがタンスの肥やしになってたんで整理しようかなって。
中島:どこでどんな感じでしてきたん?
飯田:場所も色んなとこでやってきましたね。京都とか静岡でもやりましたし、名古屋・東京・大阪でもやりましたね。
雑貨であったり、洋服以外でもコレクッションしたものを販売というか、気に入ってくれた人にバトンタッチしていったんですけど、
これを今回ここでやらせてもらおうかなって考えてます。
中島:(次にやっていくことと)PANTHER MARKETとはちゃうって言ってたけど?
飯田:次にどういう風にやっていくかっていうと、詳しいことは言えないですけど、一つのお店を持たずに、移動式型でお店をやっていきたいなと思ってまして。
前の会社と同じことしても自分自身がおもろないなって思ったんで、今まで得た知識をちょっとまた違うスタイルに変えてやっていきたいなって感じです。
実際にいつからとか、いつそういうことをdoo-bopさんでっていうのは現状では言えないですし、昭一君ともそういう話はできてないんですけど、
僕自身はどこかでdoo-bopさんとは一緒にお仕事できたらなと思ってます。
そういう移動式のお店をしたいっていうのがまず一つで、僕もこれまでいろんな洋服、いろんなブランドを見てきて、
海外に行って色んなデザイナーとかローカルの人に会ってすごい影響を受けて、まだ挑戦できてないことに挑戦しようと思ってまして。
まあ洋服を作りたいってことなんですけど。
どんな洋服っていうのはちょっとここでは説明もしにくいし、自分の中でも未定な部分も多いんでそこまでは喋れないですね。
42歳から始めて何歳を自分の引退にするかっていうのは決めたくはないし。
まあできれば死ぬまでクリエイティブなことをしてたいとは思いますけど、よーできてもあと30年ちょいやとは思うんで。
自分の人生の後半戦的な中で、20代のときの不安とドキドキした感覚をもう一回自分の中で火をつけたいっていうのがあって、
来年からモノ作りをやっていきたいなって考えてる感じっすかね。
あとはプライベートでサーフィンをやってて、それが自分の中の大きなバックボーンになってるんで、
その趣味をビジネスとかじゃなくてみんなに知ってもらうために色んな形で自己表現していけたらなとも思ってます。
PANTHER MARKETの理念
飯田:PANTHER MARKETっていうのをもう一回内容的なところで言うと、
これは僕の私物をお金儲けするために売るっていうわけではないんですよ。これはもう全然実際のお店とPANTHER MARKETの違うところ。
で、何のためにやってるかって言ったら、はっきり言うと僕自身が楽しむため。
洋服っていわば娯楽で、今の世の中やと何千円、下手したら何百円で服が買えるやないですか。
でもdoo-bopとか、僕が今まで働いてた会社とかやったらTシャツで二万円とかのものもあるし、靴で二十万円のものとかもあるじゃないっすか。
それを自分で買って使って、大事にしてたのに手放すんすか。みたいに思う人もいると思うんすよね。
中島:うんうん、まあ今はネットでも売り買いできる時代やし、僕ら世代の人やとそう思う人も少なくないな。
飯田:でも自分が大事にしてたもんを自分の手で次の人に渡すってことを、僕自身が楽しみたいんですよ。
お客さんを喜ばせたいというよりオレが楽しみたい(笑)
中島:(笑)
飯田:だってあくまでも僕の私物やから値段も僕が決めるし、言い方悪いっすけど値札もついてないし、正直人によって値段ちゃいます。ははは(笑)
中島:しゃあない奴やな(笑)
飯田:PANTHER MARKETは洋服っていうものを使って自分が楽しみたいっていう部分がほんまに大きいんですよ。
今の時代、色んな中古買取のお店があったりとか、ヤフオクであったりとか、ネットでも簡単にものを売れる時代になってきましたけど、
僕はやっぱり自分が買ってきたものに関しては、離れていくときも自分の手で次の人に渡したいんですよ。
次に着る人がどんな顔なんか見ておきたいってのがあって、事実それが楽しいっていうのが分かってるから。
お店と違って予算とかもないですし、正直別に売れなくても構わへんと思ってるんで。
純粋に僕が洋服っていうツールを使って今日1日楽しかったなって思える空間を作れるっていうのがPANTHER MARKETなんで。
そうやって楽しんでる僕を見てもらってお客さんがハッピーになってもらえたらと思うんですけどね。
まあ僕のエゴ的な部分が強いとは思うんですけど。
ちなみにしつこいですけど先ほど言わせてもらった、今後やってく移動式のお店はまた全然違うスタイルなんで。PANTHER MARKETの延長線上とかじゃなくて。
だからPANTHER MARKETに来てもらったら、PANTHER MARKETなりの楽しみ方を伝授しますんで(笑)
中島:うちでやるときはどうなん?DJフランクでいくん?(笑)
飯田:ええ、そんときはDJフランクっていう肩書きで、フランクフルトをねじねじ回していくんで(笑)
そこも見てほしいなて思ってます。
中島:俺もそれ見たいねん。
飯田:あくまでも僕は歌って踊れるバイヤーでいたいんで。そんでフランクフルトも焼く。
中島:え、うちで焼くん?
飯田:焼きますよ。もちろん。あと焼くっていう行為は音の一部分なんで。
中島:ジュウジュウっていう?(笑)
飯田:そうっすそうっす(笑)
なんで音楽も流してますけど、焼きのジュウジュウっていう音をスクラッチしていうっていう感じで(笑)
よろしくお願いします!
中島:楽しみにしてるわ。よろしく!