眼鏡の世界 Vol.2
『SPEAKEASY』の山村さん、そして『めがね舎ストライク』の比嘉さんに伺ったメガネに関するお話。
Vol.2となる今回は、『guepard』の始まりについてです。
普段はほとんど意識することがないブランドの背景ですが、
それを知ることでモノの見え方というのは確かに変わってきます。
最後まで一読していただければ幸いです。
中島:改めてになるんですけど、guepardを始めようってなった理由だとか、
これまでの経緯をお聞かせいただいてもよろしいですか?
山村:ほんまのこと喋っていいんですよね?
実を言うと僕は凄くやりたくなかったんです。
僕は単純にビンテージが好きで、それを超えるものを生産できるとは到底思えなくて。
話があったのは柳原(guepardを立ち上げた、札幌のアイウェア専門店『Fre’quence』の代表)からで、
そういうものがあったらいいんじゃないかって。
流れ的にもビジネスとしてよくあるパターンですよね。ビンテージやって、オリジナルもやってみたいな。
でもそのこと自体も納得できなかったんで、やりたくないっていう話やったんです。
それでも何でやるってなったかというと、ビンテージのメガネはどんどん数が減っていて、
その形を完全に表現出来るのは僕らしかいないんじゃないかって、
本当に細かいところまで分かってる僕らがやるべきだと。
そこにプラスして、ビンテージを所有している人も、毎日かけるのはしんどいっていう話があったんです。
高価なものを毎日ね。
中島:ああ、気を遣うとかそういうことですか?
山村:そうです、気を遣う。家でリラックスしてるときにかけるのもしんどいし、
他にもレジャーに行くときとかも、失くしたり落として傷がついたらどうしようだとか。
だからTPOに合わせて気軽にかけられる新しいメガネを作ってみてもいいじゃないかという話があって、
それで僕もようやく、ああそれやったらいいのかなと思ってguepardを始めたんですよね。
あとはまあ、当時はまだフランスのメガネがああだこうだ言われていないときで、
それでそういうのを広めていかなあかんなっていうのもありましたかね。
中島:なるほどなあ。そういえばguepardってディティールとかは完全コピーやけど、
サイズだけ現代に合うようにしたって仰ってましたよね。それってつまりどういうことなんですか?
山村:具体的に言うとそうですね、実はサイズ感はビンテージから極力変えてないんですよ。
ただ当時って同じモデルでも幾つもサイズがあって、そこから選ぶようになってたんです。
だからその中でかけやすいサイズの個体を、よりアジア人の顔にフィットするように鼻パッドを少し高くしたりだとか、
ちょっとレンズの幅を、1mmも広げてはないんですけど大きくしてみたりとか。
そういったデザインバランスが崩れないぎりぎりのところで調節して、『かけやすい』ようにしています。
そこの拘りはけっこう凄いんですよね。
ただどうしても再現できてない部分もあって。金物ですよね。
ヒンジ(丁番)の形状だとか、付け方だとか。現状そこだけはどうしても無理で仕方がないなという。
中島:最初は山村さんと柳原さんで始めはって、
比嘉さんはどういったタイミングで参加するようになったんです?
比嘉:すごい素直に表現すると、『突発的な事故』みたいなもんやったんです。
guepard1年目の秋に、合同展示会に『めがね舎ストライク』と『guepard』の2社で出てたんですよ。
山村、柳原がいて、僕はめがね舎ストライクを営業していて。
まあ友達なんで隣のブース同士ちゃいちゃいやっとったんですね。
そこにとあるアパレルのバイヤーが来て、色々聞いてきはったんですよ。
実は最初guepardって海外生産だったんです。
ロット問題とか初期投資問題とか、そうせざるを得なかったところがあって、
まあそのフレームもなんか可愛くて良い感じやったんですけどね。
でそのバイヤーさんが「日本製やったら買うんすけどね」って言うたんですよ。
「全部買います」言うたんです。
そしたら柳原が「分かりました、日本製にします!」って言っちゃって。笑
それでその日の夜に集まってどうすんねんって話になって。
いやいや絶対やばいやろみたいな。日本製でロット積んでとか金回らへんしみたいな。
そこでまあ、ストライクで受注生産という形でやればロットもなくて、日本製と謳えるんちゃうって。
より細かいディティールとかを詰めながら出来るところもあるやろうなみたいなんもあったんで、
「じゃあ僕も参加させて」っていう感じで、そっから加わるようになったんです。
山村:日本製に移行せなあかんなというイメージはあったですよ、将来的に。
やはり海外生産だと細かいことも伝わらず正直納得行く出来栄えではなかったので。
軽い見積もりも取ってたんですけど、でも時期的に今じゃないなっていう。
雰囲気も一気に変わるし、しかもファーストリリースのやつも評判良かったんですよね。
だからそのときはマジで焦りましたよね、ほんまに終わった思って。笑
比嘉:まあそんなことがあって2017年の春からストライクで作り始めて、
それで年間で1200本くらい作ったんですかね。
僕も事業2年目やったんで、全然お客さんも来ない状況ってのもあったんで。
でもぎりぎりで作り続けるようになって、このままいくと誰か死ぬんちゃうかみたいなとこまで来て、
途中から鯖江でも手伝ってもらうようになったんです。
それで3年目にはようやくロット問題を繋ぐことも出来たんで、
完全に生産を鯖江に移行して作ってもらうようになったんですよね。
なんで今ストライクでは外注するにあたっての図面とサンプル作成をしてます。
図面描いてサンプル作って修正して、また図面描いてサンプル作って修正する、
そういうサイクルが、こことそこなんで(SPEAKEASYとめがね舎ストライクは廊下を挟んで向かいにあります)、
鯖江とやっちゃうと1・2カ月かかっちゃうところが、根詰めたら2・3日で出来るんですよね。
中島:それでオリジナルに忠実に再現していけるんか。
その完成したサンプルを鯖江に送って作ってもらってるってことですね。
比嘉:そうですね。
日本って多くの場合『平面』だけで動いてるんですよ。イラストレーターのデータだけで。
デザイナーがイラレで平面をバーッと書き起こして、じゃあこの新型5型でいこうとか決めて、
そっからサンプル作りを投げるんですよね。それで立体で上がってきたやつを見て、修正依頼をするんです。
でそのやり取りも、たぶん1回くらいしかやってないですね。時間かかるんで。
だから新作を9月に発表するために、5月か6月くらいに職人に投げて、1回修正して展示会とか。
大体はそれぐらいの感じでやってるんですけど、僕らはもう3日でその1クールが出来ちゃうので、
ああだこうだ言いながら、ビンテージに対しての再現性みたいなのをたぶん突き詰めて考えられてるんだと思います。
中島:今後guepardとして『こう動いていきたい』みたいなんはありますか?
もっとモデルを増やしていきたいねんとか。
山村:そうですね、正直あんまりモデル数は増やさなくていいんちゃうかって考えてます。
もちろん定期的に、何かしら発表できるようにはしたいんですけど、カラーバリエーションが増えたりとか。
ただもっとguepardらしい表現の方法を模索中ですね。
単純に新型作って売って、新型作って売ってっていうことではなくて。
もっとこう、表現の幅を広げられたらいいなというところです。
例えば定期的にやってる限定モデルとかも、やっぱ僕らにしか出来ないことですよね。
売り上げ度外視で、面白いモデルを限定で作ったりとか。
そういったことも自分の目標の1つかもしれないですね。
比嘉:あとは既存のモデルも、今の形がゴールではないんです。
だからちょっとずつちょっとずつ、それらも変わっていくと思うんです。
もうちょっとここ再現できるよなとか、将来的には丁番も作れるようになるかもしれないですし。
ちなみに今年1型やる予定なんですね、ブラッシュアップというか、そういうことを。
中島:最後にそうやなあ、最初は反対してたけど
guepardやってて良かったみたいなのがあれば教えてもらってよろしいですか?
山村:guepardから入って、フレームフランスに興味を持ってくださる方が結構いてくれることですかね。
元々『良いもの』を売りたいっていうのが根本にあって、しょうもないものは売りたくないみたいな。
それでクラシックなメガネで良いものと言ったらフレームフランスになったんですよね、僕の中では。
だからその世界を知ってもらえるきっかけになったていうところでは有難い話ではあります。
またビンテージが好きな人の中にもguepardを買ってくださる人がいて、さっき話したTPOで使い分けるとかで。
まあ手を抜かずちゃんとやってて良かったなって感じですよね。笑
guepardに関するお話はここまでとなります。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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